Thymos’s blog

さらけ出します。

ピアスを開けるか悩んでいる人へ

私はピアスを開ける人の気持ちが到底理解できなかった。

だって、体に穴を開けるんだもの。痛すぎる。

2年ほど前に、友達がピアスを開ける瞬間を見たことがある。なんでそんなに平然としていられるのか、信じられなかった。だけど、かわいかった。と、同時に私は一生、穴を開けないイヤリングで生きていくんだ、と決心した。

 

そのくらいピアスに対しての恐怖心と抵抗感が大きかった私が、ピアスを開けた。一生開けないという決心が心変わりしてから行動に起こすまで早かった。

 

「かっこいい人間になりたい。」

 

外見ではなく、中身のことだ。他人と自分の境界を曖昧にせず、自分の意思を持つ。自分の行動は自分で決める。自分との談話会を定期的に行い、自分を見失わないよう、自分の心の声が埋もれないようにする。

 

高校生までの私は他人軸で生きていた。無意識に、だ。自分の気持ちより周りの人の気持ちや意思を優先する。それが私の処世術でもあった。

しかし、この考え方は私が気付かないうちに自分自身の精神を蝕んでいた。

だから、自分も大事にできるよう、他人軸から少しずつ、自分軸に変えていこうと思った。

「かっこいい人間になって、心を強くするんだ。」

 

そんなマインドを持ち始めて2年ほど経過した。その成果は良い方へ発揮されている気がする。何かを決めるとき、相手の意見に全振りしていたが、自分の気持ちに一旦耳を傾けてから、相手の意見も聞くようになった。その際、相手の意見に「いいね!」と思えば、それを選択し、あまり賛成できないものであれば、折衷案や妥協案を出したりするようになった。これは、視野を広げたり、自分のキャパシティに柔軟性を持たせることに役立っている。何より、自分に無理をさせることが減った。

 

ピアスを開けたのは、大学の長期休暇中に行った一人温泉旅行中だ。

もともと一人が好きな私は、学校が始まる前に、自分を癒すために一人で温泉に行って一泊しようと計画していた。

 

温泉旅行の前々日、ふいに、ピアスを開けたいと思うようになってきた。突然わいてきた気持ちだった。明確な理由は自分でもわからないが、なんだか、

「ピアスを開けたら強くなれる気がする」

そう思ったからだ。笑

ピアスを開けることによって自分を強くしなくとも、ほかに方法があることはわかっていた。

それでも、開けたくてたまらなくなった。

一旦落ち着いて、ピアスを開けても生活に支障はないかを考え、バイトや学校ではピアスに対する規則はないため、

よし、温泉旅行の夜、開けるぞ!

と決心した。

県外の温泉に行くため、列車に乗る前にドラッグストアに寄り、ピアッサーを買った。

そして、出発。

 

旅館に着く前に観光や食事を済ませ、露天風呂を満喫し、耳を清潔に洗い、お風呂を出た。

いつもと違う場所で、一人だけの空間、そして、これからピアスを開ける。気持ちが高ぶった。不思議と恐怖はなかった。ただ楽しみな気持ちのみだった。

観光中に買ったものについていた保冷材で耳を冷やし、耳と手のアルコール消毒をした。

鏡に身を乗り出し顔を近づけた。

ひとりだけの部屋に、露天風呂にお湯が流れ続けぽちょぽちょと、心地よい音だけが静かに響いていた。耳はしっかり冷やしたためもう感覚はない。ピアッサーの針を耳に当ててスタンバイ。

 

「せーのっ」

ガシャッ

 

痛くなかった。開けた後に2回、耳がじんじんしただけだった。

嬉しかった。自分で心を決め、自分の手によってあんなに恐れていたピアスを開けれたこと、耳に今、ピアスがついていること。

 

なんだか、少しだけ、強くなった。そんな気がした。

 

旅行から帰宅してから、またピアスを増やした。現在、合計5つピアスがついている。

開けたのは、姉が就職のため上京することが決まり、母や父、祖父母の支えとなっていた部分を私が担わなければならないという自らに対するプレッシャーからだと思う。自分を奮い立たせ、私は大丈夫、そう安心するために開けたのだと思う。

ピアスを開けたことで少しは強くなれた。これがどういう強さなのかはわからない。しかし、一つの経験として私の史に刻まれた。ピアスを開ける前の私、開けた後の私、確実に違っている。

 

ピアスを開けるか迷っている人。ピアスを開ければ、なんだか、自分が良い気流に乗れる気がする、そんな風に思った時に、開けてみるのがいいのかもしれない。

 

 

ちなみに、私は注射が死ぬほど嫌い。注射の前後は顔が青ざめ、過呼吸になる手前くらいの状態になる。そんな私がピアスを開けた。しかも5個。自分でもびっくりよ。

 

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