Thymos’s blog

さらけ出します。

幸福アンテナの感度

手放しに幸福と興奮を感じられた日があった。

 

しかし、毎日が不幸せだと感じながら生きているわけでは全くない。

むしろ、振り返ってみれば毎日何かしら学びがあり、成長があり、気分が上がる瞬間や、落ち込む瞬間を感じながら、充実感がある。ただ、それは起きた事象に対してのみで、自分自身がどうなったのかということに対してはその時点で満足できたことはなかった。満足できるとすれば、それから何年も経ってからだ。

「あの頃の自分、あんな事を成し遂げたこと、結構すごかったのかもしれない」と数年越しに思えることの方が多い。

たぶん、「今」に満足してしまうと、「これじゃだめだ」となった場合に自分が苦しくなってしまうから、一種の自己防衛なのだと思う。

 

そんな私が、「その日」に幸福を感じ成長を感じられた一日があった。

日々の中で、私は幸福アンテナが敏感な方だと思っていたが、特にそういうわけではなかったのかもしれないと思った。このことを悲観しているわけではなく、幸福アンテナに伸びしろがあることに気づけて嬉しい気持ちが強い。

どうしてそう肯定的に自覚できる満足した一日になったのかを考えた。

 

成長欲の強い私は、ほとんどのことに対してどれだけ成長したとしても、「もっとだ、もっと」「あれはもっとこうできたよな」など、常に振り返り・反省・改善点を見出す、というサイクルを過ごしていた。この良い面を見ると、現状に満足せず前進している。欠点は、ないものねだりで満足することがないため、自分の精神が崩れてしまうときがあるということ。

この「欠点」に目を向けると、

確かに、頑張りすぎていたこともあるのかもしれない。そう思った。

だから、私の前進思考と、心のエネルギーのバランスをうまく維持するためには、

まずは、ここまでやってきた自分の成長個所を自覚する。

そのあとに、今までのように、改善できる点を見つけられれば、もっと伸びしろがある、ということになる。

上記のことは、私が精神的に調子を崩してしまったときに考え付いたことだ。何が自分をここまで苦しめているのかを考えたときに、その思考癖に気づいた。

 

「自分をポジティブに認める」

これは、必要以上に遜ったり自身を過小評価したりしていた私が、社会に出たときに自身を輝かせてあげられる居場所や役割を見つけ、担うために必要なことなのではないかなと思った。この際、謙虚さを忘れない。

 

このような考えが身についてきたから、「その日」に幸福と満足感を感じられたのだと思う。

 

長くなったが、「その日」に何があったのかというと、

私は大学で英語の学習をしている。高校時の英語の授業が、私にとって簡潔でわかりやすく興味深く、一気に英語にハマった。将来、英語を使った職業に就きたいと思っており、今現在の一番身近な目的が、海外留学だ。大学では英語を話す・聞くの授業がほとんどで、その日のコンディションによってめちゃめちゃ話せる日とそうでない日がある。

「その日」は、ネイティブの先生と、私と同じくらいの英語に対するパッションを持っている友達とカードゲームをしながら英語でコミュニケーションを取った。自分の言いたいことをすべて英語で話せてうれしかった。今までの自身の頑張りが現れてくれたのか、と満足できた。また、学年が変わりクラス分けで私は先生方からの推薦のおかげで、アドバンスクラスになっていた。

いつもより思うままに英語を話せていること、コミュニケーションが苦手なわたしが最初から最後まで楽しく人と話していること。それが「その日」を楽しく満足した一日を今生きている!と実感させてくれたのだと思う。自分を認められた。

数年前の過去の私に対して満足していた。しかし今では、「今」に対して満足できるようにもなった。

幸福アンテナがより感度を増したようでうれしい。

 

そう思うと、ストレスを感じると食べ物に走りがちな私が理解できた気がする。笑

食べ物って食べてるその瞬間にすぐ幸福感を満腹感と共に自分自身にもたらしてくれるからなのかなって。

これに気づけた今、チョコに依存しがちな私が健康な食生活を取り戻せる兆しが見えたように思う。

このマインドの変化は心だけじゃなく、体にも良い影響を与えてくれそうだ。

 

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考えすぎ?

「考えすぎ」

家族や周りの人によく言われていた言葉だ。

起きていないことを想像して対処法を考えたり、何か発言する前に自分を俯瞰して一呼吸置いたり。具体的な例を一つ上げると、「あの子とこの話題について話すことになるかもしれない」と思ったら、どんどん妄想が膨らみ、こう言われたらこう発言しよう、とここまで考えてしまうこと。

これが私の日常。

 

これに対して、「考えすぎ」と言われたり、このおかげで高頻度で心が疲弊してしまうようになったりしたからか、この私の「普通」が「害悪」だと考えるようになっていた。だから、考えすぎは良くないことと思っていた。

 

しかし、私は先天的に考えすぎな人間ではないと思う。この習性が身に着いた理由は、きっと、私自身や周囲の人で今まで傷ついたこと、傷つけられたことがあったからなんだと思う。

ただ、これは見方を変えれば、危険予測ができるということだ。

振り返ってみると、あんな想像して不安になったり気持ちが落ち着かなかったりしたけど、実際はそんなに考えておくほどのことでもなかった、ということもたくさんだ。

しかし、私は「そういう人」なんだ。だから、

「自分またいろいろ想像して考えて考えて考えまくってるな」と一旦、受け入れてみることにした。考えすぎは悪いことばかりじゃない。たまには、「役立った!」ということがある。

そのときはなぜか達成感がある。それがうれしいし栄養になる。見返りを求めているわけではないから、この方法で結構心が安定するようになった。それでも疲れたら、足を止めて休んで、またちょっと回復して、やるかってなったら再始動していけばいい。

考えてるとき、「自分は今すごくすごーく考えている」と自認できればひどく苦しくなることはない。

 

受容って、自分に対しても、すごく大切だな、と実感した。

 

ただ一つ、「他人の気持ち」だけはいくら想像しても意味がないと感じるようになった。とはいっても、「相手を思いやる行動をしようとすること」に対してではなく、自分を苦しめないため。なぜなら、人の気持ちを想像すると、自分の想像と違う思いや気持ちからの行動があったとき、相手を「自分の想像」で見るようになっているため、混乱してその現実を受け入れられなくなるから。

相手に対する自分の想像を、頭の隅に置いたまま関わると、思い込みが激しくなり、いつの間にか、相手に期待しすぎたり、逆に相手を嫌になったりしてしまう。

だから、「他人の気持ちを想像すること」だけは極力控えるようにしている。

周りの気持ちや考え方を考えすぎて自分の行動を自身で縛り付けていた。

それで疲れたり病んだり、体を壊したりしていた。しかし、自分の言葉や行動が相手にどう影響するか想像つかない、わからない、というとき、私の言葉や行動を求められているときには、臆することなく自身で選んだ行動言動をする。それをどう受け取るかは十人十色で相手次第だから。

自分の気持ちや感情を自分自身で大切する。

予定では100歳まで生きるつもりだから、あと80年、「私」と付き合っていくうえで自分を受容することは必至なことだ。

考えすぎな私との人生、それをプラスに生かしてこれからも生きていく。

 

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二次を楽しむ(天官賜福ー中国BLファンタジー ネタバレうっすらとあり!)

天官賜福をご存じだろうか?中国BLファンタジーのweb小説が原作である。

日本でも小説や漫画の日本語版やアニメを楽しむことができる。

もし、気になっているがまだ手を出していない、という人があれば、ぜひ手に取ってみてほしい。

おすすめは、小説を読んでからアニメを観ることだ。なぜなら、小説で前知識を入れた後のほうがアニメの内容が入りやすいからだ。しかし、アニメで観てから小説を読むでもしっかり楽しめる。

 

一昨日くらいから風邪を引いてしまい、昨日21時に寝たので今日、5時半に目が覚めた。だから、母が洗濯は回してくれていたので干したり、洗い物をし終わった後、楽しみにしていた天官賜福1巻日本語小説版を読み始めた。

 

先日、友人からこの作品をおすすめされ、アマゾンプライムビデオでアニメを観てみた。アニメは2期まであり、分厚い小説が原作になっているだけあり、スマホを片手に用語を調べながら観ないと話についていくのが難しかった。完結はしていないため、続きが非常に気になる。その前に、やはり調べながら観るのは十分ではなく、話があいまいな部分も多かったため、小説の日本語版を購入した。

 

小説は見た目から内容まですべてが精錬されており、この世にこれほど「うつくしい」という形容詞が似合うものが存在するのか、と思わず息をのんだほどだ。

見返しの次のページに蝶の文様のついた和紙のページがある。天官賜福の内容を知っているのも相まって、ほう…とここでも魅了された。

 

内容は、小説1巻がアニメの1期から2期までに該当しているようだ。

アニメの記憶と重ねながら小説を読み進めていった。アニメではほとんどの部分が登場人物のひとりごとや会話、心の中のセリフで話が進んでいたが、小説では神の視点で話が展開している。

 

BLと言われているだけあって、ドキッとする展開やじれったい部分もある話なのだが、アニメを観ていると動きや行動で表現している分、登場人物の心理描写が明確ではなく自分自身で解釈する必要があったり、そこはどうなの~!わかんないよ~!という箇所も出てきたりしていた。

その部分がすっかり小説では表現されており、解釈が一致している部分もある一方、そうだったのか!と驚き悶えたりもした。

 

既知の話を別媒体で追うときの、私の改めたい癖がある。

「この二人は恋人になるんだよなぁ、こっちが精神的なサポートが手厚くて愛が重いんだよなぁ、対する一方も実は愛が重いんだよなぁ」と知っているとする。

すると、その登場人物単体で向き合うのではなく、その登場人物+その相手という風にセットで見てしまう。これを改めたい。なぜなら、変な色眼鏡を無意識にかけていることになり、単体での特徴や良いところが(逆も然りだが、)見えなくなってしまうから。

 

天官賜福は三界と呼ばれる天界、人界、鬼界が舞台になっている。謝憐(シエリェン)という神官と花城(ホワチョン)という鬼王が登場する。

謝憐はいつも穏やかで人を傷つけることなどない温厚な人柄だ。そんな謝憐に、謝憐自身が認識していないうちから長年(長年とはいっても人間の言う数年、数十年の規模以上である)思いを寄せている花城。

何百年の時を超え、謝憐にとっては初めましての認識であるが、二人は再開を果たす。ただ、そこで花城が強制的に謝憐に何かを求めるわけでなく、激重重の愛をもって謝憐と接している。謝憐は今の段階では気づいていないのか、ありえないと思っているのかわからないが、はたから見たら丸わかりだ。これがまたたまらん。いったん落ち着こう。はぁ。

小説だと登場人物の心の機微が丸見えだ。これが小説の醍醐味。

まだまだ語りたいおいしいところがたくさんあるが、それをきちんとした語彙で語ろうとすれば朝が来るので、この辺りでやめておこうと思う。

気持ちが先走って語彙なんて捨てて語れば時間もかからないと思うが読めるものではないだろうから我慢する。笑

以下↓、天官賜福小説の1,2巻のまとめ買いセット。

 
以下↓、天官賜福漫画
 

とにかく!

天官賜福は、

美しいんだ

おもしろいんだ

悶えるんだー!!

中国語を知らず、日本語がわかる人のために日本語版を作ってくれた方に感謝!

アニメの3期も辛抱強く、待ってる!

さて、これから小説の続きを読もうかな。

 

学校も少しずつ始まっている。フラストレーションがたまらないよう、腐女子謳歌するぞ。

やべぇ。謝憐か花城の配下になって近くで見守りてぇ。

 

 

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おいしい豆乳の話

豆乳が最近のマイブームだ。

しかも、シンプルな豆乳ではなく、味の付いた豆乳飲料だ。

とくに、いろいろな種類がある中で、バニラアイス味の豆乳が好きで、つい先日、箱買いをしてしまったほどだ。

 

豆乳を飲むと、鉄分補給ができたり、便秘解消効果もある。

たしかに、赤ちゃんの頃から便秘体質だったらしい私が、豆乳を飲み始めて毎日排便できるようになった。

 

だからといって、肥満につながるため飲みすぎは禁物だ。

箱買いをして手元にはあと13本ある。あと半月はもつなぁ。

バニラアイス味のこの豆乳は冷蔵庫で冷やして飲むのが私は好きだが、そのまま冷凍庫で固めてシャーベットのようにして食べることもできるらしい。これから暑くなってくると、その方法が豆乳を摂取しやすいかもしれない。

 

豆乳「飲料」というだけあって、喉に絡みつくような感覚がない。冷やして飲んでいるからというのもあると思うが、さらりとジュース感覚で飲める。とにかくおいしい。

 

チョコレート依存症と言えるくらい毎日チョコレートを食べていた私。

それが、この豆乳と出会ってからは、お店で買い物をするときには必ずチョコレートも買っていたのに、チョコレートの代わりに豆乳を買うようになった。

良い変化だと思う。体にもよさそうだからねっ

 

乳飲料の種類には、バニラアイス味だけでなく、チャイティーや、抹茶、アフォガード、砂糖不使用の紅茶、レモネード、アーモンド、ピスタチオ、ティラミス、ココア、キャラメル、プリンなど、他にも味がある。

キャラメルとアーモンド、プリン味を飲んだことがあるが、どれもほどよい甘さだと感じた。おやつの時間にこの豆乳一本で満足できるくらいのクオリティだ。

試したことがない人は、苦手でなければぜひ飲んでみてほしい。

 

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ピアスを開けるか悩んでいる人へ

私はピアスを開ける人の気持ちが到底理解できなかった。

だって、体に穴を開けるんだもの。痛すぎる。

2年ほど前に、友達がピアスを開ける瞬間を見たことがある。なんでそんなに平然としていられるのか、信じられなかった。だけど、かわいかった。と、同時に私は一生、穴を開けないイヤリングで生きていくんだ、と決心した。

 

そのくらいピアスに対しての恐怖心と抵抗感が大きかった私が、ピアスを開けた。一生開けないという決心が心変わりしてから行動に起こすまで早かった。

 

「かっこいい人間になりたい。」

 

外見ではなく、中身のことだ。他人と自分の境界を曖昧にせず、自分の意思を持つ。自分の行動は自分で決める。自分との談話会を定期的に行い、自分を見失わないよう、自分の心の声が埋もれないようにする。

 

高校生までの私は他人軸で生きていた。無意識に、だ。自分の気持ちより周りの人の気持ちや意思を優先する。それが私の処世術でもあった。

しかし、この考え方は私が気付かないうちに自分自身の精神を蝕んでいた。

だから、自分も大事にできるよう、他人軸から少しずつ、自分軸に変えていこうと思った。

「かっこいい人間になって、心を強くするんだ。」

 

そんなマインドを持ち始めて2年ほど経過した。その成果は良い方へ発揮されている気がする。何かを決めるとき、相手の意見に全振りしていたが、自分の気持ちに一旦耳を傾けてから、相手の意見も聞くようになった。その際、相手の意見に「いいね!」と思えば、それを選択し、あまり賛成できないものであれば、折衷案や妥協案を出したりするようになった。これは、視野を広げたり、自分のキャパシティに柔軟性を持たせることに役立っている。何より、自分に無理をさせることが減った。

 

ピアスを開けたのは、大学の長期休暇中に行った一人温泉旅行中だ。

もともと一人が好きな私は、学校が始まる前に、自分を癒すために一人で温泉に行って一泊しようと計画していた。

 

温泉旅行の前々日、ふいに、ピアスを開けたいと思うようになってきた。突然わいてきた気持ちだった。明確な理由は自分でもわからないが、なんだか、

「ピアスを開けたら強くなれる気がする」

そう思ったからだ。笑

ピアスを開けることによって自分を強くしなくとも、ほかに方法があることはわかっていた。

それでも、開けたくてたまらなくなった。

一旦落ち着いて、ピアスを開けても生活に支障はないかを考え、バイトや学校ではピアスに対する規則はないため、

よし、温泉旅行の夜、開けるぞ!

と決心した。

県外の温泉に行くため、列車に乗る前にドラッグストアに寄り、ピアッサーを買った。

そして、出発。

 

旅館に着く前に観光や食事を済ませ、露天風呂を満喫し、耳を清潔に洗い、お風呂を出た。

いつもと違う場所で、一人だけの空間、そして、これからピアスを開ける。気持ちが高ぶった。不思議と恐怖はなかった。ただ楽しみな気持ちのみだった。

観光中に買ったものについていた保冷材で耳を冷やし、耳と手のアルコール消毒をした。

鏡に身を乗り出し顔を近づけた。

ひとりだけの部屋に、露天風呂にお湯が流れ続けぽちょぽちょと、心地よい音だけが静かに響いていた。耳はしっかり冷やしたためもう感覚はない。ピアッサーの針を耳に当ててスタンバイ。

 

「せーのっ」

ガシャッ

 

痛くなかった。開けた後に2回、耳がじんじんしただけだった。

嬉しかった。自分で心を決め、自分の手によってあんなに恐れていたピアスを開けれたこと、耳に今、ピアスがついていること。

 

なんだか、少しだけ、強くなった。そんな気がした。

 

旅行から帰宅してから、またピアスを増やした。現在、合計5つピアスがついている。

開けたのは、姉が就職のため上京することが決まり、母や父、祖父母の支えとなっていた部分を私が担わなければならないという自らに対するプレッシャーからだと思う。自分を奮い立たせ、私は大丈夫、そう安心するために開けたのだと思う。

ピアスを開けたことで少しは強くなれた。これがどういう強さなのかはわからない。しかし、一つの経験として私の史に刻まれた。ピアスを開ける前の私、開けた後の私、確実に違っている。

 

ピアスを開けるか迷っている人。ピアスを開ければ、なんだか、自分が良い気流に乗れる気がする、そんな風に思った時に、開けてみるのがいいのかもしれない。

 

 

ちなみに、私は注射が死ぬほど嫌い。注射の前後は顔が青ざめ、過呼吸になる手前くらいの状態になる。そんな私がピアスを開けた。しかも5個。自分でもびっくりよ。

 

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学校が嫌い?

「私は学校が嫌い」

高校まで基本的に、そう思っていた。

今は大学1年生で、自分で決められる時間割により、比較的自由な生活リズムで、マイペースな日々を送れている。

 

「生徒」という身分を高校で卒業し、「学生」の身分になった今、高校や中学校が舞台になったドラマやアニメ、漫画を見ると、懐かしく、切なく、穏やかな気持ちになる。

そのとき、ふと思った。

「私は学校が嫌い」なのではないんじゃないか。だって、嫌いだったら懐かしく思って穏やかな気持ちになるなんてことはないのではないか、と。

 

「私は学校が嫌い」と思い込むようになった原因はなんだろう。

朝が早かったこと。ほぼ丸一日、週5日でパターン化した生活に身を投じなければならなかったこと。通学に時間がかかり、帰りも遅く、自分の好きなことをする時間や休息時間が足りなかったこと。

これらが主な原因だと思う。

 

高校生のなんてことない日々の記憶が、断片的に思い出される。それはどれもやさしく、ちょっぴり苦いものもある。

授業が終わり、帰りのホームルームでクラスメイトが教室に集まり、それぞれがロッカーと自分の席の往復を繰り返しながら帰る準備をしていた。そんな私たちに担任の先生2人が「早く全員席に着けー、みんなが帰れんがなー」と言い、クラスに笑いが起こっていた。その時間が好きだった。

職員室も好きだった。周りの子たちは職員室が私ほど好きではなさそうだったが、私は何か用があればすぐ職員室に行って先生とお話ししていた。大学受験シーズンは、交流の多くなかった先生方も声をかけてくれて応援してくれたり、「わからんことあったらいつでも聞きにおいで」と言ってくれたりと、心強かったし、うれしかった。

クラスメイトも十人十色で全員のすてきなところを挙げられるくらいだ。

「終わり良ければ総て良し」とは言うが、それでも、それまでに積み重ねていったどんな思い出も記憶も感覚も、すべてが良いものであるとは言えない。しかし、どんな経験も無駄ではなく、それがあったからこそ今の私がある。時が経てば、良かった記憶の方が鮮明に美しくよみがえってくるせいか、記憶に多少は誇張された温かみを感じているのかもしれない。それでも、やさしい記憶であることは確かだ。

 

だからこそ、「高校生に戻ってみたいな」と思うときもある。しかし、もし本当にそうなれば、先に述べた理由で、学校が嫌だと思うようになる日が必ず来る。

私は「今」が好き。これまでの人生の中で一番最強だから。

後悔はない。「学校が嫌だ」と思って学校に通っていた高校時代でも、当時の私は目の前の目標や課題に向けて日々奮闘していた。燃えすぎて体を壊して学校に行けなくなってしまったことがあったが、周囲の人の支えのおかげで退学を選ぶことなく、学校に復帰できた。

 

それもあってか、学生のアニメや漫画を読んでいると、「こういうふうに、放課後にみんなでお出かけとか、特に意味もなく教室に残って日が暮れるまでおしゃべりとかしとけばよかったー!」とか、思うときもある。

現役中学生、現役高校生の方には、目標に向けてまっすぐに取り組みながらも、リフレッシュの時間も取りながら、めいっぱいスクールライフを楽しんでほしいなと思う。女子大学生になった今、電車待ちをしていたり町を歩いたりしている高校生を見ると、かわいくて、まぶしくて仕方がない。本当にすてきだ。

 

今の日々が辛くて暗ければ、光の道筋を見つけられるよう、自身の心の声に耳を澄まして素直に従い、楽しくてしかたがなければ、自身の大事なものは死守しながらも、そのまま楽しく元気に過ごしてほしい。

 

あんなに嫌だと思っていた高校生活。それが今では大切な経験として私に刻まれている。

 

SEKAI NO OWARI の楽曲、「サラバ」の一部にこんな歌詞がある。

 

サラバ 普通が苦痛だった日々

手を振ってみれば ほら今はもう

私の隣には君がいて

失敗しながら一緒に歩いてる

サラバ 変わりゆく街並みを抜け

歩いてこう 遠回りで帰ろう

 

 

ある状況の渦中では、どうしようもできないくらい苦しいときがある。それをもがいてもがいて乗り超えたとき、その乗り越えた力が自分の一部になっている。

そうやって人は強くなっていく。

歌詞にある「君」は、今一緒にいるパートナーとも言えると思うが、私は個人的に「過去の私」だと思っている。人生の山場をいくつか乗り越えた「私」は「今の私」に寄り添うパートナーだ。幼稚園生の私、小学生の私、中学生の私、高校生の私、今の私のバックグラウンドには彼女たちがいる。なんて心強いんだろう。

これからもいくつか壁にぶち当たることがあるだろう。それでも彼女たちのおかげであまり心配していない。

どんな経験も人を強くする。人生に間違いなんてない。

自分のしたいことをどんどんやればいい。

辛い時はいったん踏ん張ってみて、それでも暗がりから抜けられなければ、そこから去ればいい。違う道はいくつもある。なんでもどうにでもなる。

 

これからの人生、どれくらい成長し、どれほどのワクワクを経験できるだろうか。

見通しのきかない未来が楽しみだ。

 

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体重増加に悩む女子大学生の決断

今週のお題「卒業したいもの」

ずばり、ダイエット!

中学生までは部活中心の生活をしていたからか、かりっかりだった。部活はバスケで、もっと体格をよくしないと、試合中相手に吹き飛ばされるかもしれないとおびえていたくらいだ。

 

高校生になりまたバスケ部に入ったが、体調を崩して続けられなくなり、高2の5月には部活をしていなかった。

それからだ。健康が危惧されるほどの体重増加はなかったが、体重が徐々に増えていった。かりっかりのスタイルから運動がなくなっても、食欲は残った。だから筋肉が落ちて脂肪に変わった。垂れさがっているように見える太ももの脂肪が嫌で筋膜ローラーとお風呂でのマッサージを始めた。そのおかげで足は何とか細い。それでも、食べすぎが続いた日はふとももが太くなったように感じる。

とにかく、食欲が際限ない。いくらでも食べられる。幸せだが、困った!

中学2年生のときから続けている筋トレのおかげで筋力はあるが、骨格ストレートなのもあり、筋肉質な体に見え、身長も168cmあるため小柄には見えない。人にはスタイルいいねと言われることはごくまれにあるが、細いとは言われなくなった。

 

散歩が好きで、駅まで片道40分の徒歩で移動したり、バイトも体を動かすものを選んだりしている。夜中に食べものを食べないようにしたり、お風呂上がりのストレッチは2年近く続けておりすっかし習慣になったりしている。

それでも、体重が落ちることなく横ばいなのは、食べちゃうから!

つい先日、ファスティングのPR登校をインスタグラムで見かけた。来月、成人式の前撮りがあるため、それまでに3㎏痩せたい。願わくば、5㎏

一週間のファスティングセットだったが、予定があったり体調がすぐれなかったりする場合は、3日間集中ファスティングもできるということで即決購入した。

味はバナナスムージーのようで、豆乳や牛乳で割って飲むこともできるらしい。

 

このファスティングセットを3日間集中でやって3㎏落とした方もいるようなので、期待して取り組みたい。

しかし、ファスティング後に爆食してしまうともちろんのことリバウンドしてしまうので、一番底に注意して取り組む。ファスティングで小さくなった胃を食べ物でまた大きく広げてしまわないように、3食バランスよくとるんだ。

 

このファスティングセットは明日か明後日あたりに家に届くようなので首を長くして待っている。万年ダイエッター卒業できるかな。楽しみだなぁ。

華奢になるぜ!!!!

 

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