Thymos’s blog

さらけ出します。

考えすぎ?

「考えすぎ」

家族や周りの人によく言われていた言葉だ。

起きていないことを想像して対処法を考えたり、何か発言する前に自分を俯瞰して一呼吸置いたり。具体的な例を一つ上げると、「あの子とこの話題について話すことになるかもしれない」と思ったら、どんどん妄想が膨らみ、こう言われたらこう発言しよう、とここまで考えてしまうこと。

これが私の日常。

 

これに対して、「考えすぎ」と言われたり、このおかげで高頻度で心が疲弊してしまうようになったりしたからか、この私の「普通」が「害悪」だと考えるようになっていた。だから、考えすぎは良くないことと思っていた。

 

しかし、私は先天的に考えすぎな人間ではないと思う。この習性が身に着いた理由は、きっと、私自身や周囲の人で今まで傷ついたこと、傷つけられたことがあったからなんだと思う。

ただ、これは見方を変えれば、危険予測ができるということだ。

振り返ってみると、あんな想像して不安になったり気持ちが落ち着かなかったりしたけど、実際はそんなに考えておくほどのことでもなかった、ということもたくさんだ。

しかし、私は「そういう人」なんだ。だから、

「自分またいろいろ想像して考えて考えて考えまくってるな」と一旦、受け入れてみることにした。考えすぎは悪いことばかりじゃない。たまには、「役立った!」ということがある。

そのときはなぜか達成感がある。それがうれしいし栄養になる。見返りを求めているわけではないから、この方法で結構心が安定するようになった。それでも疲れたら、足を止めて休んで、またちょっと回復して、やるかってなったら再始動していけばいい。

考えてるとき、「自分は今すごくすごーく考えている」と自認できればひどく苦しくなることはない。

 

受容って、自分に対しても、すごく大切だな、と実感した。

 

ただ一つ、「他人の気持ち」だけはいくら想像しても意味がないと感じるようになった。とはいっても、「相手を思いやる行動をしようとすること」に対してではなく、自分を苦しめないため。なぜなら、人の気持ちを想像すると、自分の想像と違う思いや気持ちからの行動があったとき、相手を「自分の想像」で見るようになっているため、混乱してその現実を受け入れられなくなるから。

相手に対する自分の想像を、頭の隅に置いたまま関わると、思い込みが激しくなり、いつの間にか、相手に期待しすぎたり、逆に相手を嫌になったりしてしまう。

だから、「他人の気持ちを想像すること」だけは極力控えるようにしている。

周りの気持ちや考え方を考えすぎて自分の行動を自身で縛り付けていた。

それで疲れたり病んだり、体を壊したりしていた。しかし、自分の言葉や行動が相手にどう影響するか想像つかない、わからない、というとき、私の言葉や行動を求められているときには、臆することなく自身で選んだ行動言動をする。それをどう受け取るかは十人十色で相手次第だから。

自分の気持ちや感情を自分自身で大切する。

予定では100歳まで生きるつもりだから、あと80年、「私」と付き合っていくうえで自分を受容することは必至なことだ。

考えすぎな私との人生、それをプラスに生かしてこれからも生きていく。

 

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