Thymos’s blog

さらけ出します。

幸福アンテナの感度

手放しに幸福と興奮を感じられた日があった。

 

しかし、毎日が不幸せだと感じながら生きているわけでは全くない。

むしろ、振り返ってみれば毎日何かしら学びがあり、成長があり、気分が上がる瞬間や、落ち込む瞬間を感じながら、充実感がある。ただ、それは起きた事象に対してのみで、自分自身がどうなったのかということに対してはその時点で満足できたことはなかった。満足できるとすれば、それから何年も経ってからだ。

「あの頃の自分、あんな事を成し遂げたこと、結構すごかったのかもしれない」と数年越しに思えることの方が多い。

たぶん、「今」に満足してしまうと、「これじゃだめだ」となった場合に自分が苦しくなってしまうから、一種の自己防衛なのだと思う。

 

そんな私が、「その日」に幸福を感じ成長を感じられた一日があった。

日々の中で、私は幸福アンテナが敏感な方だと思っていたが、特にそういうわけではなかったのかもしれないと思った。このことを悲観しているわけではなく、幸福アンテナに伸びしろがあることに気づけて嬉しい気持ちが強い。

どうしてそう肯定的に自覚できる満足した一日になったのかを考えた。

 

成長欲の強い私は、ほとんどのことに対してどれだけ成長したとしても、「もっとだ、もっと」「あれはもっとこうできたよな」など、常に振り返り・反省・改善点を見出す、というサイクルを過ごしていた。この良い面を見ると、現状に満足せず前進している。欠点は、ないものねだりで満足することがないため、自分の精神が崩れてしまうときがあるということ。

この「欠点」に目を向けると、

確かに、頑張りすぎていたこともあるのかもしれない。そう思った。

だから、私の前進思考と、心のエネルギーのバランスをうまく維持するためには、

まずは、ここまでやってきた自分の成長個所を自覚する。

そのあとに、今までのように、改善できる点を見つけられれば、もっと伸びしろがある、ということになる。

上記のことは、私が精神的に調子を崩してしまったときに考え付いたことだ。何が自分をここまで苦しめているのかを考えたときに、その思考癖に気づいた。

 

「自分をポジティブに認める」

これは、必要以上に遜ったり自身を過小評価したりしていた私が、社会に出たときに自身を輝かせてあげられる居場所や役割を見つけ、担うために必要なことなのではないかなと思った。この際、謙虚さを忘れない。

 

このような考えが身についてきたから、「その日」に幸福と満足感を感じられたのだと思う。

 

長くなったが、「その日」に何があったのかというと、

私は大学で英語の学習をしている。高校時の英語の授業が、私にとって簡潔でわかりやすく興味深く、一気に英語にハマった。将来、英語を使った職業に就きたいと思っており、今現在の一番身近な目的が、海外留学だ。大学では英語を話す・聞くの授業がほとんどで、その日のコンディションによってめちゃめちゃ話せる日とそうでない日がある。

「その日」は、ネイティブの先生と、私と同じくらいの英語に対するパッションを持っている友達とカードゲームをしながら英語でコミュニケーションを取った。自分の言いたいことをすべて英語で話せてうれしかった。今までの自身の頑張りが現れてくれたのか、と満足できた。また、学年が変わりクラス分けで私は先生方からの推薦のおかげで、アドバンスクラスになっていた。

いつもより思うままに英語を話せていること、コミュニケーションが苦手なわたしが最初から最後まで楽しく人と話していること。それが「その日」を楽しく満足した一日を今生きている!と実感させてくれたのだと思う。自分を認められた。

数年前の過去の私に対して満足していた。しかし今では、「今」に対して満足できるようにもなった。

幸福アンテナがより感度を増したようでうれしい。

 

そう思うと、ストレスを感じると食べ物に走りがちな私が理解できた気がする。笑

食べ物って食べてるその瞬間にすぐ幸福感を満腹感と共に自分自身にもたらしてくれるからなのかなって。

これに気づけた今、チョコに依存しがちな私が健康な食生活を取り戻せる兆しが見えたように思う。

このマインドの変化は心だけじゃなく、体にも良い影響を与えてくれそうだ。

 

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