「私は学校が嫌い」
高校まで基本的に、そう思っていた。
今は大学1年生で、自分で決められる時間割により、比較的自由な生活リズムで、マイペースな日々を送れている。
「生徒」という身分を高校で卒業し、「学生」の身分になった今、高校や中学校が舞台になったドラマやアニメ、漫画を見ると、懐かしく、切なく、穏やかな気持ちになる。
そのとき、ふと思った。
「私は学校が嫌い」なのではないんじゃないか。だって、嫌いだったら懐かしく思って穏やかな気持ちになるなんてことはないのではないか、と。
「私は学校が嫌い」と思い込むようになった原因はなんだろう。
朝が早かったこと。ほぼ丸一日、週5日でパターン化した生活に身を投じなければならなかったこと。通学に時間がかかり、帰りも遅く、自分の好きなことをする時間や休息時間が足りなかったこと。
これらが主な原因だと思う。
高校生のなんてことない日々の記憶が、断片的に思い出される。それはどれもやさしく、ちょっぴり苦いものもある。
授業が終わり、帰りのホームルームでクラスメイトが教室に集まり、それぞれがロッカーと自分の席の往復を繰り返しながら帰る準備をしていた。そんな私たちに担任の先生2人が「早く全員席に着けー、みんなが帰れんがなー」と言い、クラスに笑いが起こっていた。その時間が好きだった。
職員室も好きだった。周りの子たちは職員室が私ほど好きではなさそうだったが、私は何か用があればすぐ職員室に行って先生とお話ししていた。大学受験シーズンは、交流の多くなかった先生方も声をかけてくれて応援してくれたり、「わからんことあったらいつでも聞きにおいで」と言ってくれたりと、心強かったし、うれしかった。
クラスメイトも十人十色で全員のすてきなところを挙げられるくらいだ。
「終わり良ければ総て良し」とは言うが、それでも、それまでに積み重ねていったどんな思い出も記憶も感覚も、すべてが良いものであるとは言えない。しかし、どんな経験も無駄ではなく、それがあったからこそ今の私がある。時が経てば、良かった記憶の方が鮮明に美しくよみがえってくるせいか、記憶に多少は誇張された温かみを感じているのかもしれない。それでも、やさしい記憶であることは確かだ。
だからこそ、「高校生に戻ってみたいな」と思うときもある。しかし、もし本当にそうなれば、先に述べた理由で、学校が嫌だと思うようになる日が必ず来る。
私は「今」が好き。これまでの人生の中で一番最強だから。
後悔はない。「学校が嫌だ」と思って学校に通っていた高校時代でも、当時の私は目の前の目標や課題に向けて日々奮闘していた。燃えすぎて体を壊して学校に行けなくなってしまったことがあったが、周囲の人の支えのおかげで退学を選ぶことなく、学校に復帰できた。
それもあってか、学生のアニメや漫画を読んでいると、「こういうふうに、放課後にみんなでお出かけとか、特に意味もなく教室に残って日が暮れるまでおしゃべりとかしとけばよかったー!」とか、思うときもある。
現役中学生、現役高校生の方には、目標に向けてまっすぐに取り組みながらも、リフレッシュの時間も取りながら、めいっぱいスクールライフを楽しんでほしいなと思う。女子大学生になった今、電車待ちをしていたり町を歩いたりしている高校生を見ると、かわいくて、まぶしくて仕方がない。本当にすてきだ。
今の日々が辛くて暗ければ、光の道筋を見つけられるよう、自身の心の声に耳を澄まして素直に従い、楽しくてしかたがなければ、自身の大事なものは死守しながらも、そのまま楽しく元気に過ごしてほしい。
あんなに嫌だと思っていた高校生活。それが今では大切な経験として私に刻まれている。
SEKAI NO OWARI の楽曲、「サラバ」の一部にこんな歌詞がある。
サラバ 普通が苦痛だった日々
手を振ってみれば ほら今はもう
私の隣には君がいて
失敗しながら一緒に歩いてる
サラバ 変わりゆく街並みを抜け
歩いてこう 遠回りで帰ろう
ある状況の渦中では、どうしようもできないくらい苦しいときがある。それをもがいてもがいて乗り超えたとき、その乗り越えた力が自分の一部になっている。
そうやって人は強くなっていく。
歌詞にある「君」は、今一緒にいるパートナーとも言えると思うが、私は個人的に「過去の私」だと思っている。人生の山場をいくつか乗り越えた「私」は「今の私」に寄り添うパートナーだ。幼稚園生の私、小学生の私、中学生の私、高校生の私、今の私のバックグラウンドには彼女たちがいる。なんて心強いんだろう。
これからもいくつか壁にぶち当たることがあるだろう。それでも彼女たちのおかげであまり心配していない。
どんな経験も人を強くする。人生に間違いなんてない。
自分のしたいことをどんどんやればいい。
辛い時はいったん踏ん張ってみて、それでも暗がりから抜けられなければ、そこから去ればいい。違う道はいくつもある。なんでもどうにでもなる。
これからの人生、どれくらい成長し、どれほどのワクワクを経験できるだろうか。
見通しのきかない未来が楽しみだ。
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